テーテンス事務所の歩みHISTORY

2006-2014「株式会社テーテンス事務所」に名称変更PART 5

佐藤敏夫所長の時代

上智大学パワーステーション3、新2号館(共に2004年)の設計が2000年頃から始まり葉山も設計者、技術顧問として参加した。上智大学キャンパス(四谷、秦野)のほとんどの建物の設計に携わり、パワーステーション、トレンチというキャンパス心臓部を作り上げ、現在の上智大学の発展に大きく寄与している。上智大学パワーステーション3、新2号館は葉山にとっての最終作としてふさわしい物件といえる。
2006年(平成18年)葉山の引退、会社法改正に伴い、「有限会社テーテンス事務所」から「株式会社テーテンス事務所」と名称変更し代表取締役所長に佐藤敏夫が就任して佐藤の時代が始まる。
この時、村瀬豊が代表取締役副所長、佐治行三が取締役副所長に、2009年、管理建築士である櫻井修が取締役に就任した。
葉山の時代は葉山の考えを強く打ち出していたが、佐藤の時代になってからは個人個人の意思を重視し、有機的結合により一つのテーテンス事務所を形作ることを目指している。個人の意思とは言っても勝手にやるのではなく、テーテンス氏が東京海上ビルで示した ・快適性・建築との融合・合理的なコスト・操作性の良さ そして葉山の提示した省エネ・環境に対する考え方を踏まえ設備設計を行っている。

90年代以降の空調技術 個別空調へ

アメリカは住宅でもダクトを使用し建物の全体を温めたり冷やしたりするエアコンシステムであったが、日本は昔からコタツや火鉢で人を温める暖房が多かった。建物の断熱が悪かったり、隙間風が多かったりという要因は有るが必要な場所だけに冷暖房という省エネ文化である。このような文化がエアコンによる個別冷暖房技術を発達させた。

(1)エアコン技術の進歩

70年代のエアコンといえば名前の通りパーケージエアコン(熱源を内蔵しているという意味)は簡易型空気調和機であり、ヒートポンプ技術が未発達であったので暖房はボイラーからの温水によるか電気ヒーターを使用し、空冷の場合は室外機と室内機が1対1システムであった。冷却塔を使用する水冷もあり、この場合は1台の冷却塔に数台の室内機を接続可能である。
家庭用としては一体型で排熱部分を壁から突き出すウインドウ型ルームクーラーが始まりでその後、セパレート型と言っている室内機と室外機を別々に設置するタイプが現れる。ルームクーラーと言われるように冷房専用であり、暖房は石油ストーブやクリーンヒーターで行った。エアコン革命は家庭用から始まる。

  • 第一革命 1980年 東芝、インバーターエアコンを発売
    これによりヒートポンプの暖房効率が飛躍的に良くなり補助ヒーターを使用せず暖房が可能になった。瞬く間に他のメーカーにも波及し、現在ではインバーターでないエアコンを探すほうが難しい。今では寒冷地でもヒートポンプを使用できるようになっている。日本のエアコンの歴史はここから始まったといっても過言ではない。
  • 第二革命 1982年 ダイキン、ビル用マルチエアコン(ビルマルEHP)を発売
    始めにダイキンの営業マンがこの機器を持ってきたときには「また、ダイキンが怪しいのを開発した。」という印象であった。ダイキンは家庭用では以前からマルチタイプを出していたが、室外機から室内機へ冷媒配管を1本1本持っていくシステムであり、ビルマルのようにメイン配管から分岐するものではなかった。始めは1000㎡くらいまでの建物に使用するくらいであったが、現在では10,000㎡以上でもビルマルを使用するようになっている。ビルマル、店舗用エアコン、ルームエアコンの普及により特殊用途以外の建物ではほぼ冷温水システムは滅んでしまったと言って良いのではないだろうか。
  • 第三革命 1987年 GHP(ガスヒートポンプエアコン)発売
    東京ガス、大阪ガス、東邦ガスのガス三社、ヤンマー、三洋、アイシン、ヤマハのメーカー4社の共同開発でGHPを発売
    但し、今GHPと呼ばれているGHPビルマルは1992年頃になる。
    電気でモーターを回し圧縮機を作動させるEHP(電気式ヒートポンプエアコン)に対し、ガスを燃料としたエンジンで圧縮機を動かすのがGHPであり、エアコンの原理としては同じ圧縮・膨張による冷却・加熱方式を用いている。初期のGHPは音がうるさく値段も高かったので高圧受電と低圧受電の境目での利用から始まり、都市ガス各社のガス空調割引制度のおかげで急速に広まった。現在、エネルギーの多様化にとって必須の機器となっている。
  • 第四革命 1994年 日立、家庭用として再熱除湿ルームエアコンを発売
    除湿をするには過冷却して滅湿した空気を再熱する必要が有り、二重にエネルギーを使用しなくてはならず非常に非効率であったが、再熱除湿エアコンは冷却するときに出る排熱で再熱するシステムである。日本の梅雨の様な寒くてジメジメには最適なエアコンである。一時期、三菱電機、日立アプライアンスから店舗用エアコンでも再熱除湿エアコンが発売されていたが両社共、撤退してしまいルームエアコンだけとなってしまった。

このほかではダイキンの無給水加湿システムである「さらら加湿」、除湿・加湿が1台の機器で可能なデシカ(デシカント方式)等が開発されているが、現在ではまだ特殊な機器(ダイキンの図抜けた技術)で一般的に普及していない。

(2)換気技術の進歩

簡単なように思えるが換気の用途は多岐に渡り、重複することが多い、又、暖めたり冷やされたりした空気を捨てるため、エネルギーの無駄遣いに直結してしまい、考えると解決できないところに至ってしまうことがある。
送風機自体は風量によって大きさが決まってくるのでなかなかコンパクト化が出来ない。単純な機器であるため急激な進歩はなかなか無いが、少しでも効率を良くするために地道な努力が積み重ねられている。そんな中、換気機器においても二つの革命があった。

  • 第一革命 1970年 三菱電機、ロスナイを発売
    ロスナイは三菱電機の製品名であり空調用語では全熱交換機(空調用換気扇)と呼ばれる。ロスナイ以前の全熱交換器は回転型であり、寸法が大きく機構が複雑であり小型化が難しくセントラルシステムの空気調和機とセットで使用されることが多かった。ロスナイは固定型であり小型化が可能、機構が簡単、コストが安いという点から室毎の設置が可能になり普及することが出来、今では省エネ機器として欠かせないものになっている。
  • 第二革命 1984年 三菱電機、ストレートシロッコファンを発売
    建築設備で使用されるストレートシロッコファン以前の換気機器は、大型はシロッコファン、小型は壁付換気扇、天井換気扇であり、中間の機器としてはミニシロッコファン(直動型)が主であったが、機器が大きく、吸込口と吹出口が直角になっており室内の天井に収めるには大きなスペースが必要であり、騒音が大きくあまり使用されなかった。ストレートシロッコファンは吸込口と吹出口を直線状になっており収まりが良く中型換気機器として使用用途を広げていった。

現在の仕事、これからの仕事

テーテンス氏から葉山へのバトンタッチは戦後の雌伏の時代から高度成長経済への転換時期であり恵まれた時代であった。佐藤が所長になったのは建設不況の続く中、2008年にリーマンショックに襲われるという困難な時代である。そして2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災・福島原発事故が起こる。高度経済成長期は量が評価される時代であったが、今は質が問われる時代になってきている。「これって、どこかで聞いたことがある?」、葉山が言っていた「エクセルギー(エネルギーの質と量)」そのものである。これを仕事の形として表現し、ビジネスとしてやっていくというのは非常に難しいことである。しかし、この点ではテーテンス事務所が世の中より一歩先んじている。単に建物内の省エネを主張するだけでなく、外部環境、都市環境、大きくは地球環境を見据えてエネルギーについて建築設備設計の提案を行っている。
エネルギーの有効利用という立場から全電化エネルギーという風潮に異を唱え、電気でなくても可能な暖房や給湯にはガスを使用する、井戸水は熱として放射冷房に利用すると同時にトイレ洗浄水として利用、雨水は流せば環境負荷なるが浸透させれば都市環境の改善につながる、太陽光や太陽熱パネルを屋根に載せることによりエネルギーを生み出すことが出来るだけでなく屋根の冷房負荷を減らし室内環境の改善になるというように常にエネルギー使用について多面的に捉え、同じ量のエネルギーでも有効に使っていくという考え方の伝統を持っているのがテーテンス事務所である。
もうひとつ我々の仕事にとって大切なことは建築の設計と一体となって進めて行くことである。よく葉山が「魔法瓶住宅」と言っていた。窓を少なくして断熱材を多用する建築であれば熱環境としてはよくなるかも知れないが、建築という全体を考えるとつまらない建築になってしまう。特にテーテンス事務所は著名な建築家との付き合いが多く、その方たちのコンセプトを理解して設備設計をしていかなくてはならない。

佐藤の時代の代表作

(1)Sony City(2006年 プランテック総合計画事務所 担当:村瀬豊)

ソニー新本社の設計コンペプロポーザルで受注した大規模事務所ビル案件で、ソニーの中核となる大規模オフィスの基準フロアに放射冷暖房と床しみ出し空調を全面採用して、現在の潜熱・顕熱分離空調の流れを予測した設備計画であったが、残念ながらイニシャルコスト面から、低層階への部分的な採用にとどまった。

(2)日産自動車エンジニアリング新棟(2007年 プランテック総合計画事務所 担当:村瀬豊)

日産自動車、神奈川県愛甲石田に位置するテクニカルセンター内の事務所の大規模増築改修案件である。既存熱源の省エネルギー改修では、ノンフロン水冷媒ターボ製氷機とシャーベットアイス状の氷蓄熱採用や執務フロアの加圧式床空調、エアバリア方式及び役員フロアに日本初の3管式冷暖房フリー放射冷暖房を盛り込んだ設備計画である。

(3)あきたチャイルド園(2011年 サムコンセプトデザイン 担当:村瀬豊)

秋田市の認可保育園の新築案件で、節電対策と寒冷地に適した熱源採用や保育環境を重視した床チャンバー冷暖房方式にデシカント調湿換気装置(潜熱・顕熱分離)組み合わせた設備計画で、保育園におけるテーテンス事務所の空調設計のスタンダードとしたい。建物評価としてキッズデザイン賞・グッドデザイン賞・東北建築賞特別賞を受賞している。

(4)大館市立総合病院(2005年 岡田新一設計事務所 担当:佐治行三)

設計が始まった時には葉山が所長であったが、実質はすでに葉山後の設計になる。延床面積40,000㎡という大病院において、病室の冷暖房としてまだまだファンコイルユニットが一般的なシステムであったが、ルームエアコン+温水による直接暖房を採用している。寒冷地なので暖房に重点をおき温水暖房とし、冷房は個室化にも適応しコストの安いルームエアコンを採用した。大建築における個別システム採用の先鞭をつけた設計である。

(5)高輪いきいきプラザ・高輪保育園・高輪児童館(2008年 長大アルコム建築部(旧アルコム) 担当:新井英昭)

京都議定書が締結され、地球温暖化の原因でもあるCO2排出量の削減がテーマとなるコンペ、プロポーザルが多くなったころの建物である。地中熱をメイン熱源とし、外気調和、給湯機器へ採用した。空気熱源ではないので、空気中への排熱は少なく排熱回収を給湯熱源とするなどCO2排出量を少なくした。

(6)警視庁火災事件研究センターほか(2012年 田中建築事務所 担当:新井英昭)

港区港南の旧水上警察署跡地に建設した施設。事件性のある火災案件の検証施設として葛西にあった施設が手狭となり、湾岸署別館(警備艇のドック)や交番等と合わせた複合施設として計画。煤煙処理装置や壁面ヘッドの消火設備など火災実験施設としての特徴ある設備や、船艇への給油施設など、一般的な冷暖房や給排水設備とは違った普段では見ることがない特殊設備の設計業務へ携わることができた物件である。

(7)横須賀市猿島公園(2006年 環境デザイン 担当:櫻井修)

珍しい無人島での休憩等のための施設。いわゆる山岳トイレや、生活排水の土壌浄化など、あまり一般的ではない設備を備えている。計画当初は、動的な断熱・集熱システム(櫻井案)を盛り込んでいたが、予算の都合で断念している。

(8)朝日酒造瓶詰工場(2006年 長建設計 担当:櫻井修)

地中熱のパッシブ利用、温排水の熱源利用、置換換気空調など、人に優しい効果のシステムを多用し、省エネルギー省資源の設計となっている。通常の計算で必要な冷暖房エネルギーの半分程度で同等の効果を演出している。

(9)チョープロ本社(2008年 ジンアーキテクツ 担当:櫻井修)

進取の気性に富んだ施主と建築事務所の理解を得て、事務所用途では珍しい、液式デシカントシステムを取り入れつつ、世界最大の冷暖房用ラジエーターを間仕切りに使うなど、快適性の追求を行っている。もちろん、熱源にコジェネ温水を使用して省エネルギーを計るなど、エネルギーへの配慮も怠っていない。

(10)朝日酒造新松籟蔵(2011年 長建設計 担当:櫻井修)

何度か計画しながら採用できていなかった液式デシカント空調機を前面に押し出した設計で、圧倒的な快適性と安全性を達成している。熱源は水空冷排熱回収型ヒートポンプチラーを採用し、さらにこの機器からの大気への排熱もデシカント機の屋外再生機へ導入し、二重三重に省エネルギーを計っている。

(11)中村彝アトリエ記念館(2013年 AIKO環境計画 担当:櫻井修)

小さな施設だが、井戸水とエアワッシャーにデシカントまで組み込んだ、オンリーワンのシステムとなっている。液式デシカントを組み込む設計で確認してきた、エアワッシャーによる除湿効果を、前面に押し出したシステムである。管理棟のエアコンによるシステムとの快適性の違いを体感できる。
バブル崩壊後は、安いことが絶対価値となっている風潮だが、快適性という価値が正当に評価されるようになることを、長年期待しているところである。

(12)韮崎西中学校(2008年 大宇根建築設計事務所 担当:村田大輔)

山梨県韮崎市の釜無川に面した公立中学校の建替計画である。外断熱工法による外皮を持つ校舎棟普通教室に井水熱をそのまま利用した低質な簡易冷房を導入した。当時の近隣小中学校の普通教室への冷房導入の実績はないが、豊富な井水をトイレの洗浄水等の雑用水に利用する前に熱的な利用をする事により、貴重な資源を無駄なく利用した省エネシステムを実現している。その他にナイトパージ、及び太陽光発電等の自然エネルギー手法を導入した。山梨県建築文化賞、及び日本建築家協会優秀建築選を受賞している。

(13)神戸ドイツ学院・ヨーロピアンスクール(2009年 岩村アトリエ 担当:佐藤智史)

六甲アイランドの中心に位置し、瀬戸内の豊かな太陽の恵みを最大限活かした先進的かつ象徴的な環境共生建築。屋根全面に太陽光パネル(約30KW)を設置し必要電力の約7 割を賄っている。また、クール(ウォーム)チューブによる地中熱利用、連続高窓による熱気の排熱・昼光利用、木材利用、高断熱化など、徹底してLCCO2排出量削減を求めた結果、国交省の第1回住宅・建築物省CO2推進モデル事業に採択された。

テーテンス氏が来日して一世紀余り、なんと言っても日本で一番の伝統を持った設備設計事務所であり、我々は次の世代にその伝統を伝えていかなくてはならない使命を持っている。優秀なスタッフ達が次の百年を作り上げていってくれるに違いないが、自分たちだけで出来ることではなく、その為には多くの方達(施主、設計事務所、施工者、メーカー等々)と一緒にやっていかなくてはならないということが、この「テーテンス事務所の歩み」を書いてみて実感できたことである。

佐藤所長時代の作品

佐藤所長時代の作品佐藤所長時代の作品