テーテンス事務所の歩みHISTORY

1931-1945.8独立創業(戦前)の時代PART 2

建材社退社

テーテンス氏の建材社退社の経緯については「大気社80年」に詳しく書かれている。建材社とテーテンス氏との契約は雇用契約ではなく、テーテンス氏としては初めから独立したテーテンス事務所としての契約であると主張しており、工事利益の2~3割が支払われていた。
建材社としては工事拡大に伴いその費用が大きくなり負担しきれなくなってきてテーテンス氏との契約が解除された。1929年に起こった世界恐慌により、順調に成長してきた建材社の業績が昭和恐慌(1931年頃)により悪化してきたことも影響しているのではないだろうか。「テーテンスノート」を見ても来日時(1914年)は半ページを占めるだけであったが、順調に増えていき1925年から1930年は4ページ~6ページ(1928年)となり、独立後の最終ページ1935年には半ページに戻っている。
建材社との雇用契約でないのであれば、テーテンス事務所は創業1931年(昭和6年)ではなく来日時の1914年(大正3年)にしても良いのではないだろうか。テーテンス事務所の戦前の新聞掲載広告があるが、そこでも「since 1914」となっている、とすると来年2014年で創業100年となる。独立後は丸ノ内に事務所を構え、建材社時代と同じく設計・施工・監理を行っていた。新聞広告には東京事務所(丸ノ内海上ビル)、大阪事務所(大同ビル)と有る。どちらも自分で設計したビルである。テーテンス氏は設計・施工・監理を一貫して行う事を目指していたようであり、戦後、葉山の時代に工事部門が「日本サーマル」として分離されるまでその体制は続いた。

引き続き、「大気社80年」には土井口豊次郎氏の記事が幾つか掲載されている。土井口氏は1968年頃から10年程度、法人化されたテーテンス事務所のスタッフとして協力し、後進の指導にも当たっていた。土井口は建材社に1923年に入社し、建材社とテーテンス氏との分離後、建材社の設計部門の中心的な役割を担っていたようである。

1930年〜 独立創業時の仕事

「テーテンスノート」以外にこの時代の資料はほとんど無い。手がかりとしては上でも触れた新聞広告がある。「テーテンスノート」から実績を抜粋する。学校等何期かに渡っている物件もあるが前に掲載した物件は外してある。数字はボイラー能力(BTU)を示す。

1931年(昭和6年)

日本ベンベルグ(延岡) | 空調
1,000,000
共立女学園 | 低圧蒸気暖房
500,000
アメリカ横浜領事館 | 強制循環温水暖房
400,000
東北学院 | 低圧蒸気暖房
500,000
東洋英和 | 強制循環温水暖房
400,000
イタリア大使館 | 自然循環温水暖房
300,000

1932年(昭和7年)

・聖路加国際メディカルセンター
ヴォーリズ邸 | 温水暖房
50,000
東京大神学校 | 自然循環温水暖房
400,000

1933年(昭和8年)

教文館ビル | 温水暖房
500,000
鳩山邸 | 温水暖房
50,000
アメリカンスクール | 温水暖房
100,000
ドイツ学園(大森) | 温水暖房
100,000
神戸女学院 | 温水暖房
1,000,000
カナダ公使館 | 自然循環温水暖房
300,000
ニューグランドホテル横浜 | 高圧蒸気暖房
400,000
島津公爵邸 | 温水暖房
200,000
ローマカトリック領事館 | 強制循環温水暖房
200,000

1934年(昭和9年)

満州国領事館 | 暖房増設
400,000
ダンロップゴム(神戸) | エアワッシャー改修
関西学院 | 暖房改修
200,000

1935年(昭和10年)

ノートルダム修道院 | 暖房改修
400,000
テーテンスノート

この年で「テーテンスノート」は終了する。その後について初川メモに「第二次世界大戦の影響で1936年頃、丸の内工業と社名変更し、機械工場を経営とある。独立後はキリスト教系など外国関係が増えてきているようである。規模、技術的に見て1931年の日本ベンベルグが目立っている。日本ベンベルグは現在の旭化成の前身の紡績工場である。旭化成のホームページに1931年延岡工場建設、操業開始と掲載されており「テーテンスノート」と一致する。System欄にair conditioningと記入されている唯一の例である。初川メモではアンモニア冷凍機と書いてあるが当時のアンモニア冷凍機であれば吸収式冷凍機であったのではないだろうか。やはり日本の空調もアメリカと同じく産業用から発展してきている。
聖路加病院では暖房だけであるが手術室等に対し加湿器、空気ろ過器を備えた空気調和を行っている。テーテンス氏の仕事からも暖房からair conditioning:空気調和の時代への移行を感じることが出来る。

簡単に、年代順に物件を並べているがこの時代の日本はとんでもない時代であった。

1931年
(昭和6年)
満州事変
1933年
(昭和8年)
国際連盟脱退
1941年
(昭和16年)
太平洋戦争

日本が戦争に突き進む時代で、暖房に石炭なんか使用できなくなっていくのである。そんな時代にどんな設計が出来たのであろうか。昭和10年で「テーテンスノート」が終了しているのを見てそんなことを感じる。とは言え、テーテンス氏の熱海の別荘は昭和17年なのである。戦争中も悠々自適な生活をしていたのかも知れない。
2004年発刊の東京ガス広報誌「LIVE ENERGY vol.75」に石福昭氏が「建築設備家の原点とその系譜4」でテーテンス氏を紹介している。そこでは軽井沢にヴォーリズ氏設計の別荘を所有していたと記されている。以降、戦前の記録は見当たらない。